通奏低音

音楽生活

ブレシア音楽院にいた頃は、学士にいたこともあり、日本の音大時代に培っていたものと友人の援助で成り立っていたようなものだ。

パルマに来てから、越えなければならない壁とでもいうのか、今までに習ったことのない学びの機会が多くなった。

日本の音大にいた頃、私は練習時間は受験期に比べると極端に少なく、その代わり元を取るべくより沢山の授業を取り、意識して人に沢山会っていたのだが、

そんな中でも今、あのとき取っておけば良かったと思う授業は“通奏低音”だ。“ヴィオラ・ダ・ガンバ”の授業もあったけれど、当時の私にはそのような“古いもの”に対するアンテナがなかった。どちらかといえば現代音楽の方が魅力的に映った。

パルマに来て、クラシック音楽は歌舞伎や能と同じで“伝統”なのだと感じることが多くなった。

私はミラノ音楽院で勉強したことはないのでただのイメージでしかないのだが、ミラノ音楽院はどこか前衛的でアバンギャルド、国際的で開かれている感じがするのに対して、パルマ音楽院は、ヴェルディ(パルマ近郊に生まれたヴェルディは実際ミラノ音楽院には不合格だった)のにおいが強く残っていることに加えて、どこかコンサヴァティブな雰囲気が漂う。“通奏低音”の教室で使われている机が古すぎて、“これ、トスカニーニがいた頃からあったんじゃないの…”とも思わせる。

この前の“通奏低音”の授業で、モーツァルトのフィガロの結婚のレチタティーヴォの楽譜に数字付けをした。印刷譜が当たり前の現代に生まれた私は、これっぽっちしかない音符を目にして思わず「これ、先生が(学習教材として)作った課題ですよね?」と言ってしまった。そう、モーツァルトはこれしか書いていないのだ。

「楽譜は絶対だ!!! 一音たりとも間違うな」と教育されてきたように思うが、そもそも“書かれていない”の世界。

ヴィヴァルディなど、「数字は“ばか”のためのもの」と言ったというが、数字ですら“書いてなくてもわかってくれよ”の世界。

モーツァルトのレクイエムの楽譜の通奏低音を見て、「モーツアルトはこれを遺し、後の人がこれを見てオーケストレーションして仕上げたんだな…」としみじみする。